2012年02月19日

録画したサンデル先生の哲学教室を見た

録画したサンデル先生の哲学教室を見たら、夜中に目が覚めていろいろ考えてしまった。
サンデル教授はいま日本で、なんかもてはやされているけれど(もうちょっと飽きてるか?)、いたって伝統的な西洋哲学の人で革新的でも目新しくもゼンゼンないんだけど、そもそも目新しいとか刷新とかいうこと自体が哲学の価値観にはなくて、広く普遍的にどこでもどんな時代でも通用する人間全体に共通の考え方や価値観を提示するのが哲学なので、逆にいうと、そういう「普遍的」というもの自体がいまの日本社会にとって目新しいのに過ぎないんだと思う
だけれど、「広く普遍的にどこでもどんな時代でも通用する人間全体に共通の考え方や価値観」というものはどこまでいっても論理であって、器であって、そのなかにどんな具体的なモノが入ってくるかは国によって、地域によって、文化によってはやり変わってくる
だもんでサンデル教授の話は、いつも「善(goodness)」とか「美徳(virtue)」とかといった雲の上の曖昧な言葉、遠く輝く星のような言葉に行き着いて終わるのだが、じっさい彼が言いたいのは「善」も「美徳」もいつでもどこでもそこらにありますということなのだ。
しかしそれがなんだよくわからないし、じっさいに学生時代、哲学を学んでいた頃もわかってはいなかった!
posted by jin at 05:06| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月06日

The Way Home


I shouldn't have learned a language              
A world without words
How good it would be
If I lived in a world where meaning does not become meaning

Even if you are revenged by beautiful words
It has nothing to do with me
And even though you shed blood for some quiet meaning
It has nothing to do with me either

The tears that are in your tender eyes
The pain that is falling from the tongue of your silence
If there were no words in our world
I would merely stare at it and leave

Is there as much meaning in your tears
as there is in the core of a piece of fruit
Is there an echo of the sunset in one drop of your blood
which makes you tremble in the twilight of this world

I shouldn't have learned a language
Simply because I learned Japanese and bits of foreign languages
I stand still inside your tears
I return absolutely alone into your blood

by Tamura Ryuichi (who is my most favaite poet in japan).
posted by jin at 22:59| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

The Way Home


I shouldn't have learned a language              
A world without words
How good it would be
If I lived in a world where meaning does not become meaning

Even if you are revenged by beautiful words
It has nothing to do with me
And even though you shed blood for some quiet meaning
It has nothing to do with me either

The tears that are in your tender eyes
The pain that is falling from the tongue of your silence
If there were no words in our world
I would merely stare at it and leave

Is there as much meaning in your tears
as there is in the core of a piece of fruit
Is there an echo of the sunset in one drop of your blood
which makes you tremble in the twilight of this world

I shouldn't have learned a language
Simply because I learned Japanese and bits of foreign languages
I stand still inside your tears
I return absolutely alone into your blood

posted by jin at 22:58| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月14日

言葉の先のしめす物

全世界における、日本語の特異点を示します。

これを見てください↓



http://bit.ly/a5j1n1



これはイギリス・グーグルの画像検索で、「peach」を検索したページです。

逐語的な意味での果物の「桃」に混じって、マリオブラザーズの「ペーチ姫」がかなりの割合、まるでウィルスのように浸食しています。ほかにもピー
チ色、ピーチ味といった意味連関のイメージが載っていますが、「ペーチ姫」はおそらくいかなる英辞書の「peach」の項にもまだ乗っていない
「peach」という語のイメージでしょう。



この「ピーチ姫」を指す英語のpeachという語が、いったいどんな連関と迂回を経て「ピーチ姫」につながるようになったのかは、ドレスの色が桃色で、名前という固有名詞だという以外にイギリス人には想像できる余地はないでしょう。

しかしもちろん、英語peachが「ピーチ姫」を指すようになるまでには、日本語の「ピーチ」という語の、日本語に特有の比喩作用が挟まっているのです。



次にこれを見てください↓



http://bit.ly/bLkWgb



日本・グーグルで「peach」を検索した結果ページです。

果物の「桃」はかなり少なくなっています。これが日本語なのです(笑)

それより「桃色」を示すイメージが多くなっています。それからもちろん「ピーチ姫」もいます。それから、なぜこれが「peach」なのか、保守的な西洋人には理解できないだろうイメージも多々あります。

先頭にあるミニスカートの女のヒップも、はちきれんばかりの水着の女の子も、なぜコレが「peach」と繋がるのか、日本人は別段疑問はもたない
でしょう。比喩としてつながるからです。しかし西洋語のpeachはそういう言葉のジャンプはあまりしません(それは上記のイギリスグーグルのサイトから
明らかです)。

(しかもpeachとpeaceがオヤジギャグ的に繋がってるイメージまであるなー。ピーチ→ピチピチの連想もある。犬の名前もある!ピーチタイムってなんなんだ!)

つまり、これが日本語の特異点。きわめて特殊な比喩の能力です。



僕の印象では、欧米語は指示能力にすぐれ、言葉の示す物がそこになくても、まるであるかのように現出させる力に長けています。



一方、日本語ときたら、指示能力はたいへん曖昧で弱い(だから政治家とかは苦労するんですね)。その代わりにというか、横にずれていくような比喩能力、とくに暗喩の能力に優れている。そのことをグーグルの画像検索が示しています。



「peach」→「桃」→「桃色」→「ピチピチしたもの」→「食べちゃいたい子」とか無数にどんどん比喩的にイメージが枝分かれしていっちゃう。しかもそれを「peach」という語でどこまでもカバーできちゃう。

ヨーロッパ語にはこういういい加減なことはできません。



これが日本語の特性であり、世界的に見たときの特異点、ネット上での浸食力なのだと思います。

そして、ヲタク文化をはじめ、日本の芸能や思想を特徴づけているのは、なによりこの比喩能力なのではと思っています。

いずれ、ネットはますます浸食されていくでしょう。これがなぜ「peach」なのかわからない、けど検索されちゃう的な、日本語の比喩能力によるヲタク的アニメ的画像でもって。



そして、さらに重要なことは、これが言語の原始性であるということです。



それは折口信夫や吉本隆明の語っていることで。生まれたときの言語は「詩」であったろうということです。

言語の始まりは、辞書に載っているような語と意義が定まった形ではなく、比喩としての機能だったろうということです。



桃が桃であることを伝えるのに言葉は要らないのです。

そうではなくて「君は桃のようにかわいい」「食べちゃいたい」と。それを伝えるために「桃」という言葉は生まれたんだということですね。



つまり日本語の特異点としての比喩能力は、もともとどんな言語にも備わっていたはずの原始的な側面なのです。



そこに、ネットを通じての日本語および日本の文化に拡散により、世界じゅうの人びとの精神の古層が掘り起こされるかも、という僕の期待の源泉があるのです。
posted by jin at 23:58| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月06日

国家を超えよう!

前回の日記から、さらに、
岡川さんの以下の日記を受けて書きます。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1616517817&owner_id=34414

まず中国の話。

国家という幻想を超えるために!
なにがなんでも僕は、中国を除外することを望んでいるわけではありません。
中国ともどもに、それができればより良いでしょう。

ただ岡川さんのいう
>国家という形はその徴税能力の減退により、これからますます経済共益圏に飲み込まれていくようになるでしょう。残念ながらその中心はjinさん の望む中国以外というより、アジアとオセアニア、一部シベリアもまさに中国を中心としての共益圏として生きていくことになろうかと僕は予想します。

というのが、かなり蓋然性の高い予測だとして、
中国が中心になる場合、中国という国家だけは残る!のではないですか?

周辺地域は国家という体裁を解体させられて、、、
中国的国家体制にすべて飲み込まれる、、、
のかもしれないという気がしますが、違いますか?

それは歴史に逆行するというか、
つまりかつて中国がつまり大陸が国家的な文明をつくったために、
周辺地域も国家的な体裁を持つよりほかなくなった
というアジア的段階の逆行です。あるいは逆回転、ひも解きですね。

それでは困るのですよ。
国家を超えるのですから!

どうやって中国国家を解体するか?できるのか?できないのか?



超国家的な共同体について。

これは僕の理想論です。こうなればいいなというくらいのものです。
そこから、どう現実にコミットしてゆくのか知りませんし、
そういうつもりで聞いてほしいのですが、

超国家的な共同体にためには
経済的な共栄圏だけでは、十分条件ではないと思います。
文化・芸術・宗教もまた共有するものを持たないと
ホントの「共栄」はないと思います。

もちろん天皇制の押しつけはダメよん。見苦しいし。

たとえば、いま日本と韓国とでは
芸能分野において、ほとんど2つの支流が混じったような
濁流のような様相になっていますね。
これは良い兆候だと思います。台湾もそうなのかな。

そのためにはオタク的サブカルチャーも村上春樹ももちろんネットも
重要な要素になってくるのかなと思います。
境目を超えるのはいつも若い力ですからね。

ただそれだけだとだめだろうな。歴史的な視点もいるな。

どうでしょう?



民族について。

>むしろ英語でなおさら意識できるグローバル化の波によって、より自分の民族・言語を意識する切っ掛けになっているとも感じます。シンガポールに リトルインディアやチャイナタウンがあるように、今後アジア地域の一体化が進めば進むほど、民族・言語の分離化は進んでいくことでしょう。

わかります。
日本のなかですら民族論はありますね。
沖縄の基地のことを考えると、
ちがう民族だから、ちがう扱いをしてもいいような
認識を政府はしているのだなーと哀しく思いますし。
アイヌの人々だってそうです!
いや西日本と東日本だってちがうのかもしれない。
これからもっと分化していくかもしれませんが。

グローバライゼイションという
世界を一元化しよう!という動きのなかで、
民族的にまた文化的に「違い」を意識しまた強調することはむしろ、
人間的に健全な動きなんだと思います。

というのも
資本主義経済活動は人間という生物の
自然な欲望にたくみに寄生しているものですけど!
しかし、その自然はおだやかな素朴な自然ではなく、
過激に挑発し人工的に導き出された自然なのですから。
不自然な自然です。核と同じような。

だからどうしても
人は経済活動とは別の場所で
心の平衡を保つ必要に迫られるのです。

それが労働者たちが週末ごとに求めるものです。
家でのんびりしたい、もあれば、
ちょっと遠出をしたい、もあるし、
なにか作りたい、体を動かしたいもある。
それが民族だと思います。いまのところ。
つまり母体的な空間へ帰ろうとするんだと思います。

もちろん人間の精神分野のことなので
そこには幻想的な部分もあるのですが、
しかし身体的な実感もともなった現実=リアルなのですね、民族というのは。

だから超えられません。それは。ぜったいに。
超えるべきものでもありません。
最終的には自分がこの世に出現した場所=部族にまで細分化されるでしょう。
丘に登って見渡せる限りの空間にまで細分化されるものです。
また、されていいものです。

だから部族は、国家とはちがいます。
まず見える範囲でリアルだということ。
そして比較的に簡単に変更や移住も可能なものなのです。

でなければ「嫁」とかありえないし!

そして超近代のいまは、男の子だって嫁にいく!
それがサブカルチャーなんだと思います。



てか、ひさびさ頭つかったー!
こんなん日記だれも読まねえよー!!!
posted by jin at 21:52| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月18日

G/C/G/G

きょう
茜色の夕日の

はじまりの
G/C/G/G

G/C/G/G
をえんえんアコギで
くり返してたら

右足の
親指と人さし指のあいだに
人魂のような
青い光がすうっと飛んできて

消えた

G/C/G/G
G/C/G/G

単調なくり返し
浮くと見せかけてまた
戻ってゆく日常

もどれと思うもむなしく
沈んでいく夕日

きみは見たことがあるか?
満天の星を

銀河が空に
大河となって流れるのを

立っていては
それは見えない

大地にごろんと
背をあずけ

こころをひろびろ
寝ころばせなきゃ

寝ころばせなきゃな


IMG_0019.jpg
posted by jin at 23:26| 沖縄 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月16日

2010年09月15日のつぶやき

horiuchijin / Horiuchi Jin
台風11号発生!週末に沖縄へ行く人たちは心配だろうな〜 at 09/15 22:49

horiuchijin / Horiuchi Jin
女性らしいやさしいイメージのデザインていわれてもなあ。。。なんてけっこう得意だったりして。 at 09/15 17:06

horiuchijin / Horiuchi Jin
語り草。ていい言葉だなー。 at 09/15 10:56

posted by jin at 00:01| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月15日

2010年09月14日のつぶやき

horiuchijin / Horiuchi Jin
ひさしぶり家で酒飲んでぐわっと来た。でもいいさ。風邪だし。俺はここにいるって思えてるよ。だいじょうぶ。志村。 at 09/14 23:26

horiuchijin / Horiuchi Jin
涼しいので窓を開けてたら、三線を、マンションの隣の方が弾き出した。同じフレーズを何度もくり返す。悪くない。 at 09/14 20:18

horiuchijin / Horiuchi Jin
昨日からちょっと風邪ぎみの鼻腔奥が疼く・・ at 09/14 08:17

posted by jin at 00:01| 沖縄 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月14日

2010年09月13日のつぶやき

horiuchijin / Horiuchi Jin
おはようございます。今週も始まりました。ああ、髪きりたい〜 at 09/13 08:48

posted by jin at 00:01| 沖縄 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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